「肖像と月」井桁 裕子展 Portrait and Moon / Hiroko Igeta
「肖像と月」井桁 裕子展
Portrait and Moon / Hiroko Igeta
2024/04/27(土)~06/09(日)
12時〜19時(月・火休館日)
⚫︎オープニングレセプション4/27(土)17:00〜
協力: 株式会社 椿や
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「人形からの挑戦状ー井桁裕子作品抄」
松本喜三郎の「生き人形」をご存じだろうか?
松本喜三郎は1825 年熊本に生まれた稀代の生き人形師だ。松本は幕末から明治期という日本の近代化の時代に「見世物細工」として大衆を魅了した人形師である。
明治期は「美術」の領域でも近代化に向けて日本はひた走っていた時代。当然、松本等の表現つまり「見世物細工」は「美術」より低く見られ、同じく「人形」も「彫刻」よりも低く見られていた。しかし「見世物細工」「人形」は大衆の集合的無意識の眼差しに鍛えられてきたのではないだろうか。そう松本喜三郎の「人形」について考えることは日本の彫刻史における「近代」について問いかけることなのだ。同様に京都場で展覧会を行う井桁裕子の人形作品について考えることは現代の日本美術における美術・彫刻のあり方を問うことに繋がるかも知れない。
私が井桁裕子の作品を初めて観たのは《片脚で立つ森田かずよの肖像》(2015 年・ギャラリーときの忘れもの/ 東京)だった。モデルとなった森田かずよは、生まれながらに強度の側弯症、二分脊椎症などの重度の障害を持ちながら大阪を中心に活動している女優・コンテンポラリーダンサーだ。
《片脚で立つ森田かずよの肖像》は桐塑や羊毛などを使った作品。私はこの作品を見た時はモデルとなったダンサー森田かずよのことは知らなかった。井桁が自身の身体的な感性で森田の裸の身体に向かい合い、対話しながらできた作品。京都場に並ぶ「肖像人形」のシリーズを是非、対話をするように受け止めていただきたい。
さて井桁裕子作品にはもう一つの流れがある。陶芸の作品シリーズだ。井桁の陶土で作られた作品はみんな「ねじれ」ている。「ねじれ」から生まれていると言ってもいいかもしれない。それは生命の本質が「ねじれ」だからだ。
例えば赤ん坊が羊水から出る瞬間を思い浮かべてみよう。頭の旋毛をなぞるかのように赤ん坊の身体は螺旋を描いて世界に飛び出していくのだ。それと同様に井桁の陶の作品も粘土から生まれて来る。井桁裕子の「肖像人形」シリーズと「陶」作品シリーズが並ぶ京都場の空間が、明治以降の、そして現代に繋がる日本社会に投げかけるアートからの礫になることを密かに願って。
京都場館長・仲野泰生(元川崎市岡本太郎美術館・学芸員)
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『肖像と月』
子どもの頃「人体」という図鑑が好きで、人形というよりは人間のミニチュアが欲しいとずっと思っていたのです。大人になって、自分でヒトガタを作るようになりました。人形は外側に作られたもう一つの身体でした。痛みもなければ人権もない無法地帯の身体です。それを作る行為には特殊な影響力があります。
肖像の作品は、私と現実世界の他者との出会いを形にしていったものです。実在する魅力的な表現者にモデルになっていただくことで、それは単に作品ということを超えて個人の形代にも似た特殊な存在になりました。無法地帯であった「人形」に守るべき尊厳が備わってしまったのです。そして制作期間の対話は私の人生の宝になりました。一方、焼き物で作る小さな造形や、球体関節人形などの「人形」は、素材と手から無防備に生まれる見知らぬ面影たちです。夜道にふり仰げばどこまでもついてくる月のように、人形はずっと人間の歴史と共にある存在です。占星術で言うところの「月」は無意識に埋もれた自分自身、習慣になってしまっていることや過去の記憶を意味します。それは意識的な個人の力を象徴する「太陽」と対を成しています。今回のタイトルの「肖像」は私であり他者である肖像の作品を私の「太陽」の管轄として、より自由な小さな人形造形を「月」となぞらえました。いつか消えていく個人の記憶を、肖像と人形の中に謎として残していこうと思っています。
井桁 裕子
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<プロフィール>
井桁 裕子
1967 年東京に生まれる。
武蔵野美術大学を1990 年に卒業、デザイン会社に勤務。
2004 年より本格的に作家活動に入り現在に至る。
人形作家・本城弘太郎氏、四谷シモン氏に球体関節人形を学ぶ。
桐塑、陶、布、油彩、人毛など様々な素材を使い、
人間個人の存在感や身体のイメージなどを表現する。