共同体から生まれた妖怪画

妖怪は共同体から生まれる。妖怪は、いろいろな怪奇現象をその土地に住む人々が共通体験として、語り伝えていく過程で誕生する。そこで妖怪は名前を付けられる。この名付けは、共同体の中で行われ、つまり妖怪の名前を付けることで、共同体の皆が了解し、人は心の安寧を見つけていったのではないだろうか。畏怖とともに。

瀬戸内海地方や中国地方は、民間伝承の妖怪たちの宝庫である。小豆島で生まれた柳生忠平は、小豆島の民間で伝承されてきた妖怪を描く。その妖怪たちを柳生は、小豆島の古民家の天井や板戸等に描いてきた。

仏教哲学者・井上円了が「妖怪」という語を作ったと言われている。「妖怪」は「日本人の自然に対する畏敬の念と独得のアニミズム思想を背景に生まれた」と、井上円了は考えたのである。アニミズム思想とは、人間の霊魂と同じようなものが、自然界にも存在するという考えで、森羅万象に精霊が宿っているという見方のこと。

ところで日本人はこの「妖怪」を画家の想像力によって、創り上げてきた。もともと妖怪や精霊は目に見えない。北斎、国芳、芳年らの浮世絵師の想像力で、妖怪が描かれてきた妖怪画の美術史。その陣列に、小豆島の妖怪を描く柳生忠平が加わろうとしている。

現代の日本では、ネットやメディアの発達で「中央と地方。あるいは世界と日本」という情報の差異は無くなりつつあるのかもしれない。だからこそ、小豆島から発信される柳生の妖怪絵画の存在の意味が出てくるような気がしている。グローバリズムに対抗するアートによるローカリズムの誕生である。

小豆島の民間伝承から生まれた柳生忠平の妖怪画は、何故か懐かしい。何故なら私たち日本人の血脈に流れる神秘的な何かを呼び起こすからだろう。

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柳生忠平

香川県小豆島出身。宝塚造形芸術大学(現、宝塚大学)卒。叶匠壽庵にて和菓子のパッケージデザインなどに携わり、2005 年絵描鬼宣言。現在香川在住。2006 年小豆島と京都での個展を皮切りに、高松・大阪・東京などで作品を発表。2014 年個展「百鬼創造」(南青山)、2015 年個展「百鬼楽楽」(六本木)、二人展「妖宴」(銀座)など、大都市での作品発表のほか、イタリアの展示会にも作品を出品している。時折、様々なイベントにも参加し、人の妖怪的要素を見出し描く「妖怪風似顔絵」も精力的に行っている。現在、魑魅魍魎を生み出す「妖怪製造装置」というものを中心に制作している。http://yagyu-chubei.com/